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書家 松下 夕那
マツシタユウナ
MATSUSHITA YUUNA
長野県
伝統文化
書道
「書」は私を自由に表現する
私はいわゆる「書道」というより、暮らしの中に馴染む“書”をテーマにしています。
書というより墨のデザインと表現した方がしっくり来るかも知れません。身構えずに書道に触れてほしいという気持ちから作品の仕上げは間近で見られるようにガラスを隔てずに飾っていただくものが多いです。
イメージは脳を介さない
筆者も実は筆マメ。お手紙は筆で書きます。なので「書き物の際イメージ通りに手に出力することは中々難しい」というリアルな悩みを伝えてみました。すると松下氏は「イメージしたものが特に頭を介さずにすっと手に出ていきます。」と異次元の回答。
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「書」の作り手は、伝統工芸の使い手。
書との出会いと、忙しい日常
松下:幼少期の私は「アルプスの少女ハイジ」みたいだったと両親は言います。
昔から自然が大好きで家でおもちゃで遊ぶより、田んぼや海など自然の中で絵を描いたりして遊んでいました。私が書道と出会ったのは小学校3年生の時でした。
友達が書道教室に通い出したことがきっかけで、普通の教室でしたが今思えばすごく自分に合っていたんだと思います。なんとなく言葉で表現するよりも、手紙など文で表現する方が好きな感覚が芽生えました。
学校を卒業しゼネコンに就職してからも通っていたという。
師範代の免許も取りましたが、書道を仕事にする考えは当時の私にはなく、それどころか仕事忙しくなってきたタイミングで一度、書道から離れることになります。
再燃のきっかけは、おっちゃんとSNS
谷マチ:でも、字が上手だと職場で熨斗や香典など頼まれませんか?
松下:そうなんです、実はそれがきっかけでもあるんです。職場で字を書いたりすると、周りが褒めてくれる。次第に、現場監督のおっちゃん社員に頼まれて、何気なく書いた私の字が、あるお店の看板になっていたのです。その時、書は自分が提供できるサービスなのかも知れないと感じました。
とはいえ書道教室も辞めていたし、書道家の知り合いもいなかったので、しばらくは仕事と並行しながらぼちぼちとSNSで自分の書を発信していました。
どっちつかずでやっていても中途半端になるだけだと会社を退職し、書に本腰を入れる覚悟を決めました。
不思議なもので、辞めると少しずつ作品依頼のDMが入ってくるようになったんです。
アーティストの共通課題
現在は作品のオンライン販売を主軸とし、依頼作品制作、会社ロゴ作成、命名書作成なども手掛けながら
オンラインレッスンやワークショップにも取り組む松下氏。しかし自身の書を知ってもらう入り口がSNSしかないことに少し寂しさを感じたりもするそうで、
松下:現代のSNS社会というものは、書道に限らず伝統産業にとって作品を見てもらうという点ではすごくいい時代ですが、ただ見るだけでなかなかそれ以上のアクションを起こせないのが現実です。
今回「谷マチ」さんのお話を伺って、その問題点が全て解決される、まさに今を生きる伝統産業に必要なものはこれだ!と思いました。
「私を踏み台に。」伝統産業に対する想い
書道は墨、硯、筆、紙を使いますが、全て職人の技が必要な、いわば伝統工芸品です。そのどれもが後継者問題などにより衰退の一途を辿っていることが最大の問題であると考えます。
この現実を伝統工芸品の使い手としても見てみぬふりは到底出来ません。
「私を表現する唯一のコンテンツである書を無くしたくない」様々な資源が減少している中、自分にできることは何かを考えた時、”書に対する関心の減少を止めること”だということに辿り着きました。
この思いから冒頭申しました”暮らしの中に馴染む書”をテーマにしようと考えました。
私の書に触れて「これだったら部屋置いてもいいな」や「書道家に挑戦してみてもいいな」と思う人が増えれば幸せです。
いわゆる伝統産業の「門を叩く」ではなく「私を踏み台に」して欲しいです。
資金の使途
書道教室ではなく書をアクティビティの一つとして提供できる場を設けたいと考えています。この辺は八ヶ岳の麓で観光客も多いですし、地元の方も巻き込んで山を散策しながら書を書くとか普通の書道体験ではなく特別な体験を提供したいです。
「日本の書」を通して日本芸術の良さを知ってもらえたらいいなと思います。
谷マチと共通するゴール
生活様式の変化≠美意識の低下
「今の生活様式に合わせて伝統工芸を取り入れてほしいんです。だって日本の伝統工芸を日本人がいいって思わないわけないじゃないですか。なんで衰退するのかもわからないですし、いいものがちゃんと残る世の中になってほしいですね。」迷いを捨てた松下さんの前向きな言葉に我々が勇気をいただきました。