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紀州へら竿 和人
キシュウヘラザオ カズヒト
KAZUHITO
和歌山県
竿師
紀州へら竿
生粋の釣り好きがつくる、高級釣り竿。
「私は元々水溜まりを見ても釣りがしたいと思うほどに釣りが大好きです。」そう語るのは紀州へら竿の伝統工芸士、和人氏。柔らかいのにパワーがある竹の才能を存分に引き出したへら竿への大きな憧れを持っていました。作り手になる前は普通に企業勤めをしていましたが、就職して給料で初めて紀州のへら竿を手に取った時の高揚した気持ちを今でもはっきりと記憶しています。
へら竿とは?
本来はへら鮒(ふな)を釣るための竿であり、最長45㎝までの魚なら釣り上げることができる。
真竹・高野竹・矢竹と組み合わされて出来るへら竿は、グラスファイバーやカーボンなどの化学の竿では味わうことの出来ない釣り味の妙があるという。その裏には匠たちの妥協を許さないこだわりがあり「憧れの竿」としての地位を築いた今日でも息づいています。
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和歌山に残る武家社会の光と影
行政の関与と市民の関心を促すため、伝統的工芸品の認定へ向けた戦いと壁
和歌山の土地の至るところには、へら竿の材料となる矢竹(やだけ)があり、この矢竹というのは文字通り弓矢の「矢」に使う竹です。この紀州は、御三家だけあって武家社会が根付いた街、お家の庭には矢竹を植えて、武器の材料を育んでおり、それが現代には良質な伝統工芸の材料と変換されます。
現在、国に指定された和歌山県の伝統的工芸品は、黒江塗と紀州箪笥(たんす)と紀州へら竿の3品目です。しかし少し前までは黒江塗だけでした。
伝統的工芸品に認定されるためには、技術だけではなく様々な歴史的証明や証拠を示す必要があります。黒江塗は、御三家紀州藩の文献にも登場していることから容易に認定がされていた一方で、紀州箪笥もへら竿もこれまで何度も申請しては棄却されていました。そんな中、紀州箪笥は、とある嫁入り道具の中から100年前の領収書が発見され、それが客観的史料として伝統的工芸品に認定されます。
紀州へら竿も100年以上前から存在したことの証明をすることが必要です。私が組合長になった際に、もう一度本腰を入れて取り組みました。
へら専科(へら鮒釣りの月刊誌)で連載をしていたため、常にそのための情報募集をしていましたが、
140年前の古い竿が見つかったという情報が目に飛び込んできました。
私はその竿について必死で調べました。
するその竿を作っていたのは大阪の方で、子孫の方に戸籍を辿って謄本を取得してほしいとお願いしました。どうやらその方は一族の中でも悪名が高かったようで、そんな先祖のために動くのは嫌だと拒否されましたが、歴史を証明するために必要な方なのだと説いて分かってもらい、書類を用意していただきました。これでようやく申請に向けてスタートを切りました。
第二の壁
次に言われたのは、江戸和竿(えどわさお)との違いを証明することでした。
江戸和竿とはかつて江戸で作られていた竹の釣り竿と、その流れを汲む職人(竿師)が作る竿で1991年に通産省から国の伝統工芸品に指定されていますが、どうも江戸和竿は紀州の人が作ったというのです。
「発祥が同じなら認定はされません。繋がってるんじゃないですか?」と事務局に言われてピタッと申請が止まります。
江戸和竿組合と様々な方法でコンタクトを取ろうとしましたが、なかなか一筋縄ではいきません。ついに私は半ば強引に組合を尋ねました。すると会長の口から「紀州へら竿と江戸和竿では技法が全く違う」という言葉を聞くことができました。
江戸和竿の会長の名前で違いを証明する資料を作成し、学識経験者として立教大学の教授を招聘し国へプレゼンを行い、20年以上の時を経て、晴れて和歌山県第3号の伝統的工芸品として登録することができたのです。
最高品質と問題点
へら竿は一本仕上げるまでに最長2年かかります。
なぜ2年もかかるのか、それは一人でやっているからです。注文が輪唱する状態になるため、効率が悪くなります。それは後述するとして、技術的な理由は、竿の材料である竹が湿度に弱いことにもあります。製法として真竹という太い竹を割り角材にして四本を張り合わせ、また削って加工していきます。竹は湿度が高いとよく曲がりますが、漆は湿度によって乾きます。なので炙って曲がりを直して漆を塗って、湿度にあてて、また曲がった部分を炙って調整してを何度も繰り返します。
出荷する手前で曲がったりもするのでそれもまた修正してとなると納期が守れなかったりもします。
さらに最終チェックとして出来上がった竿を持って釣りに行き、魚のあばれ具合や竿のしなり具合など、全て「試し釣り」をしてまた調整をしてからお客様に提供しています。
未完成の状態でお客様がチェックして完成だという作り手もいますが、私は違います。
竿も生き物です。一つ一つ個性があって、それぞれの竿と最後まで向き合ってこそ
自信をもって私の紀州へら竿を世に送り出すことができるのです。
事前に問診?
私の竿を求めて来てくださったお客様には必ず、普段どんな場所でどういう釣りをされるのか、どんな魚でどの大きさを釣りたいのかを聞くようにしています。
出来るだけそのお客様が私の竿を使って釣りを楽しむ姿をイメージしながら作ることが大切だと感じているからです。
うちはオーダーメイドの竿を注文されるこだわりの強いお客様が多く、釣りへの熱い想いが伝わることが竿師として本当に幸せなんです。
課題、当事者としての努力と限界
注文と制作時間のタイミングとバランスとが取れていないことが最大の課題です。なので後継者がほしいという思いが強くあります。元は200人いた職人が現在35人へ減少、さらに高齢化も進み、若い人で40歳手前という現状です。
需要の対象を広げるために、youtubeチャンネルを開設し動画を配信しました。そうするとスペインから取材に来てくださった方がいました。なんでもスペインは釣り大国、釣り人が多すぎて州ごとに許可書が必要なほどだといいます。釣りをしていい期間が細かく定められているそうで、来日による需要と紀州へら竿の販路を世界に広げようと思っていた矢先、パンデミックが起きてしまいました。
足止めを食らった間には、令和三年より市内にあった後継者育成施設を紀伊清水駅直結へ移設しました。入門希望者を竿師が交代で指導し、紀州全体で育てていく養成所です。希望があれば業界として手厚くお迎えし共にへら竿の継承をしていきたいと思っています。
伝統工芸としての釣りはまだまだ認知度が低くyoutubeなどを通して紀州へら竿へ目を向けてくださる方が増えるといいなと思う反面、後継者の育成や雇用の費用に不安がないかといわれると素直に首を縦には振れません。
だからこそ今「谷マチ」さんと「タニマチ」さんの力が必要なのです。
経歴
和歌山県立橋本高校→筑波大学社会工学類卒業松下電器産業(現パナソニック)を経て、紀州へら竿職人に弟子入りしその後独立。
紀州製竿組合組合長、紀州へら竿伝統工芸士会会長を歴任。
第45回全国伝統工芸品公募展にて、日本伝統工芸士会「会長賞」を受賞。
谷マチからメッセージ
最初はすごく怖い方かと思いましたが、ギャップに驚くほど優しい職人さん。
へさ竿を愛し、地域産業化へ奔走し、現在は技術継承に憂いておられます。この行動力で、紀州へら竿と日本の製竿技術を世界に発信してくれること間違いありません。皆さんの後押しを是非ともお願いいたします。