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京瓦窯元三代目 浅田晶久
アサダマサヒサ
ASADA MASAHISA
京都府
京瓦
瓦職人
瓦屋根が日本の象徴的なデザインとして帰ってくる日を夢見て
「目の肥えた人が減り我々の産業はなかなか認められにくくなっている」と寂しそうに語る三代目が家業を継いだのはごく自然なことだった。「長男は家業を継ぐのが当たり前。瓦作り自体、私は嫌じゃなかったが、父はずるかったのか、直接は言わず周りの職人さんを使って私を誘導していたようでした。」と語るのは、引っ掛け桟瓦で通商産業大臣賞を受賞した父・良治を継いで京瓦窯元の三代目となった浅田晶久氏。
明治44年創業の浅田瓦工場は「いぶし銀」や京町屋に佇む魔除け「鍾馗さん」で有名な京瓦(きょうがわら)を作る最後の作り手。数多の京の歴史舞台に使われた京瓦が、いま風前の灯火になっています。
是非、ご一読いただきたい。
1400年の歴史、京瓦とは?
日本最古の瓦は西暦588年に伝来し飛鳥寺が創設された際に初めて使用されたと言われており、16世紀に方広寺の大仏殿を建造する際に全国から優秀な瓦職人が東山に集まって以来、現代まで続いてきました。京都で生産され釉薬を使わず「磨き(みがき)」と「燻し(いぶし)」という工程を経た重厚な輝きをもつ瓦を「京瓦」とよびます。
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後継者はいない、京瓦の技術だけは残せたら。
歴史と、京瓦の伝統的製法「本うす」
京瓦の産地は東山七条と伏見。
悠久のときから岩倉や幡枝の粘土で平安京の瓦を作り、東大寺の瓦も豊臣秀吉が東山七条あたりに瓦屋を集めて作らせました。
瓦は昔、主にお寺や城のみに使われ、一般の民家はそれまで植物系(葦や木皮)の屋根でした。それが江戸時代大火事によって、防火の必要から瓦が普及していくようになります。
しかし、時は流れ戦後、京瓦はどんどん廃れていきました。
京都には手作りで瓦をつくる職人が多くいたため、全国の産地で機械化が進む中、京都は機械化が遅れました。そのため、わずかながらも手作りの「京瓦」が残ったと言えます。
良質な粘土を乾燥させ粉砕して水に入れて撹拌した上積みだけを使用し作った瓦の表面をさらに3度ほど磨きあげて作る大変手間のかかる製法、それが「本うす」です。
この京都にしかない伝統的な製法で作ってこそ“ほんまもんの京瓦”を作ることができるのですが、残念ながらこの製法を知る全国の瓦職人ももう他にいない現状で、何もしなければ“ほんまもんの京瓦”というのはこうして埋もれていくのやなと思います。
約20年前から止まらない廃業の波
私が職人になった当時、瓦屋は京都市内に10件ほどありました。
今、京瓦の工場は当工場を合わせて2軒しか残っていません。
さらに当工場は明治44年創業にも関わらず京都で1番新しい瓦屋で、京瓦の消滅がすぐそこまで来てしまっていることは明らかです。
テクノロジーとの融合で未来を造る―
浅田:私の時代は“職人の技は自分の目で見て盗め”と教えられてきました。
しかしそれは伝統産業の終わりを加速させかねない。と京都工芸繊維大学の教授はおっしゃいました。
教授の考えに共感した私は、職人が消滅したとしても技術だけは未来に残すためテクノロジーとのコラボを行うことにしたのです。
浅田:大学とのコラボが進みだした頃、一人の職人の卵が手を挙げます、ものづくりが大好きで職人に強い憧れを持つ学生でした。その学生をロールモデルにするため、通常15年はかかる職人技の習得を5年で成し遂げるカリキュラムを教授と共に作りました。
職人の動作を記憶させ、筋電図や眼球解析などセンサーをつけて職人と学生の差を数値化して技術を残し、死んだ後でもデータで再現できるように記録をしました。そうしたテクノロジーを取り入れながらトライ&エラー、どんどん失敗させる教育で育てました。
そして7年半の修行を経て、ひとり立ちする弟子の背中に伝統産業の未来を見た気がしました。
内容からお分かりのように、浅田氏には後継者はいません。しかし最低限の技術は保存されつつあります。ただ直接受け継ぐのと再現するのとは、やはり違います。
これからも浅田氏はこの京瓦を受け継いでくれる作り手を探し続けていきます。
そしてその活動をどうか支えて欲しいと思います。
作り手からメッセージ
京都では屋根の鬼瓦と対比して、瓦焼きの鍾馗(しょうき)さんがたてられます。本来は魔除けですが、インテリアとして現在は海外からの需要が増えています。今は屋根に瓦を使用する新しい家はほとんどありません。瓦は耐風性や耐震性が弱いと思われがちですが今は全て釘打ちをするので台風や地震にも大変強く捲れることもありません。私は10年後20年後、日本の美意識と共に瓦が戻ってくる時が来ると確信しています。谷マチからメッセージ
浅田瓦工場には旧祇園甲部歌舞練場の巴(円形部分のエンブレム)が所蔵されており、水平に寝かせていると分かりませんが、屋根の傾斜に傾けると女という文字になります。屋根の勾配は反りがあるため場所によって計算をして全てエンブレムの女の文字の角度を変える。屋根になっている時には気付かない、床に置いて初めて気づくこと。まさに職人の心粋に脱帽です。