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播州刃物 MUJUN 小林新也
(鋏職人)

MUJUN 小林新也

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MUJUN 小林新也

KOBAYASHI SHINYA

兵庫県 播州刃物 鋏職人

この男、現代の幕末志士。

世界に誇るは「西洋の芸術と日本の道徳」
かつて世界にあったこの認識。つまり日本に芸術はないと。
しかし日本には美しい芸術が数多ある。
この人物を説明すれば、日本の手仕事のレガシーが伝えられるのでは。いや、それと同じくらいに結局、道徳も伝えてしまうかも知れない(筆者)

小林新也。
工業デザイナーであり、鋏(はさみ)職人を束ねる頭領でもある。
兵庫県の山側の地方都市、小野。ここが彼の地元かつ拠点。
自身のプロダクト、富士山ナイフや鋏の販路づくりに、オランダ、フランス、モロッコへ勢力的に飛び回り、海外では名の知れた存在。
しかし、小林におけるプロダクト販売は"目的"ではない。ある命題のための費用集め、つまり手段である。

この命題に触れていくにあたり、筆者は幕末の開国論者「佐久間象山」の言葉が頭をよぎる。
「志士とは、20歳になったら生まれた故郷や地域のために尽くし、30歳になれば日本のため、40歳になれば世界の....」

小林は芸大を卒業後、すぐに起業している。
普通は、"資金は"、"何の分野で"、"事業成功を"と考えるはず。
しかし社会人小林の原点は、実家、ふるさとの人々、そして地域を考えることから始まった。

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斜陽産業に生まれ、日本の縮図だと気づいた

序章 実家は代々続く表具屋。


小林は“仕事を待つ”スタンスがほとんどである表具屋の世界に歯がゆさを覚えたという。
小林:文化の変化や、核家族化した建築様式による表具の衰退を目の当たりにした幼少期、僕は漠然と文化の衰退は日本の衰退だと感じていました。
その後、大阪芸術大学でプロダクトデザインを専攻。在学中に中四国の伝統工芸の作り手と交流し、文化衰退のスピードの恐ろしさを知り、就職している暇はないと卒業してすぐに会社を立ち上げました。

小野市はそろばん生産日本一の街だが、これまた斜陽産業。技術や歴史をPRするプロダクトデザインを行うも、実際に商品を売る職人たちはPRも販路開拓もできない。自分がデザインしただけで終わってしまうという現実に直面。
そんな中、刃物の問屋組合の副理事長さんからPRの依頼が入ります。
その時、直感的に「これは新しい鋏をデザインしても無意味だ。」と感じたといいます。
なぜなら小林は、後継者問題の深刻度を知っていたからです。

小林:刃物の歴史を調べていると、そもそも日本の刃物の鋼が発明されたのがここ兵庫県、実は日本一古い産地だとわかりました。太閤秀吉が三木城攻めの際にここらの職人の腕をみて、これは儲かると。日本刀など刃物の産業化の始まりになったようです。しかし古いがゆえに自分たちの名前を売らず、全ての仕事を下請け孫請けでやってきてしまい、鍛冶屋の世界では名の知れた人がたくさんいるのに誰も知らないのです。
「これはもったいない」という強い思いから、まず僕が提案したのはブランド。“播州刃物”という“枠組み”です。

刃物の生産方法を大きく分けると3つ。
・個別生産 総火造り鍛造(そうひづくりたんぞう)→鋼と鉄の鍛接から形成まで全て火造りで行い、どんな刃物も製造可能
・中量生産 利器材(りきざい)→平板に薄い鋼を挟んだ素材を使用しているため鍛接不要で、形成のみの火造りで刃物を仕上げる
・大量生産 プレス工→庖丁やハサミ等の型にプレスで抜いたものを焼入れし刃をつけているもの

次々と利器材屋が店を畳み、同時に辞めていく鍛冶屋も後を断たない状態。
世界に誇る日本刀にもなるこの刃物の技術を未来に残すには、総火造り鍛造を残すほかないと、
唯一その技を持つ男、水池長弥氏の弟子を作ることを最初のゴールに設定しました。

第一章 生態系を作り出す


水池さんの握り鋏は、洗練された美しさを誇る見た目もさることながら、研ぎ易さというメンテナンス工程まで全てのバランスが整っており、まさに完璧な製品だという。
また水池さんはこの総火造り鍛造で、鍛冶職人自身の道具も作ることができます。
もう一度言います、ものづくりにおける生態系の根本のような人がすでに日本でたった一人だけとなっているのです。しかし、水池さん自身は弟子を作ることに懐疑的でした。

小林:彼らの概念って弟子=息子なんですよね。実は何十年も前、息子さんからの家業をやりたいと言う申し出に、「せっかくいい大学を出たんだからこんな仕事継がなくていい」と断った過去があったそうです。そこから弟子を取らずに一人でやってきて、急に僕みたいなのが現れても、「無理なもんは無理や」ともはや考えたくもないと言った具合でした。
そこから何度も何度も、「世界で一人の技術なんですよ」、「海外のこういう需要が」と伝え、時にはパリのメゾン業界やDIORのデザイナーの「こういう仕様にしてほしい」という生の声を伝え続けました。

今まで問屋に卸すだけの一方通行のコミュニケーションでしかなかった水池さんの心に変化が生まれます。

小林:結果的に、僕が必死に伝えていたことは、水池さんにとって、消費者つまりハサミの使い手とのキャッチボールになっていたようで、めっちゃ嬉しかったみたいです。

僕らが関わり情報発信するようになってから、飴細工用の「手鋏」や、弓矢の矢の羽を一直線に切る「裁ち鋏」など考えたこともないような依頼が水池さんのところに集まってくるようになりました。
国の補助金を資金源に展示会に足を運び販路開拓し、そんな活動を始めて3年弱、
ついに水池さんの後継者が現れるのでした。

第二章 ようやく自身のスタート


生態系の絶滅危惧は乗り越えた、いや必ずしもそうではない。
鋏は多様な用途に多種の技術が存在しているため、それぞれの鋏を生産できる状態にしないと、極端な話、鋏は一種類になってしまう。ということは、自分たちで職人集団あるいは職人育成環境を整えるしかないと。

小林:そのきっかけをくれたのは日本一のお華鋏職人、井上昭児氏。
彼との出会いで、職人たちが弟子を取らない理由が “責任”だということに気付きました。
彼らが弟子入りした当時、職人は公務員の倍の高給取り。なりたい人がたくさんいるため、最初の2年は掃除しかさせてもらえないとか、「見て覚えろ」とか、そこで篩(ふるい)にかけられて残った本気の職人が彼ら。
それを経験してきた彼らの考え方だと一人前になるまで10年はかかる。
教えるのはいいが、最後まで自分の目で見て育てられないから弟子入りを断っていたのです。
ならば僕がその責任を負うしかない。
弟子になりたい人を集め、色々な鍛冶屋さんを師匠として招いて知識をいただき、いいとこ取りができる育成工房を作りました。これが「MUJUN」です。
この方法であれば僕らが目指す総火造り鍛造かつ自由鍛造のできる鍛冶屋を取り戻せると思いました。

谷マチ:訓練校のイメージですか?

小林:知識を習得するという意味ではそうですが、学校と違う点としては最初から給料を払うというところ。
そのためには、彼らの給料分を稼ぐプロダクトが必要であり、彼らが生産できるものでないと。
その着想で何かを一早くデザインして世に送り込む必要がありました。
そこで海外で絶大な人気を誇る肥後守(ひごのかみ)をヒントに、富士山の景色をデザインし、ビールのキャップも開けられる “富士山ナイフ”を作りました。
月の半分は富士山ナイフの製作、もう半分は総火造りの練習に費やしました。
富士山ナイフを生産レベルまでもっていくだけで勝手に技術力がレベルアップしていきました。

最初は人も何も決まってない状態で工場を作りました。それからいろんな人が訪ねてきてくれて奇跡の4人が今ここにいます。正直なところこれ以上のことは今の時点ではできないなと危機感を感じています。

  • 表具店の隣に改装した工房MUJUN

    表具店の隣に改装した工房MUJUN

  • 中四国の伝統工芸との交流

    中四国の伝統工芸との交流

  • そろばんのプロダクトデザイン

    そろばんのプロダクトデザイン

  • 水池長弥氏

    水池長弥氏

  • 右から総火造り鍛造でどんどん刃物製品になっていく

    右から総火造り鍛造でどんどん刃物製品になっていく

  • 奔走から3年半、水池氏の弟子誕生

    奔走から3年半、水池氏の弟子誕生

  • MUJUNのきっかけ、井上昭児氏

    MUJUNのきっかけ、井上昭児氏

  • 命題「職人を食べさせる」ために作られた富士山ナイフ

    命題「職人を食べさせる」ために作られた富士山ナイフ

  • 集まってくれた奇跡の四人

    集まってくれた奇跡の四人

  • 総火造り鍛造の技法を、

    総火造り鍛造の技法を、

  • 脈々と繋いていく。

    脈々と繋いていく。

  • そして、復活させた盆栽鋏

    そして、復活させた盆栽鋏

悩み=生産力

海外ではすごく人気なのに小野に帰ってきたら後継者、作り手がいない。生産体制の脆弱さが悩みです。
一方で、一度は消滅してしまった盆栽鋏でしたが3Dプリンターや粘土を駆使し形状を復活させ2022年にはようやく生産し始めました。人が一旦暫定的にいなくなってしまっても、作り方さえ残していけば夢の続きを見ることができるのです。あとはその夢を担ぐ職人が増えることに対し、ここからは社会の応援もいただきたいと思っています。

谷マチと共通するゴール

日本のモノや文化が外国人に人気があるのは嬉しい、ただ日本人より外国人に人気があるような状況が本当に理想と言えるのか。日本人の美意識ゆえに、日本人のささやかな日常で使ってほしい。
現状を知ってその中で自分のフェイバリットを見つけ、作り手もそれに合わせたプロダクトを作っていく。そのためにまず消費と生産の二つの歯車が回り合わないといけないと思うのです(小林)
日本を憂い、ヒトと地域に尽くす。そんな人に資源を集中することが国力へと繋がるのだなと改めて感じました(谷マチ)

MUJUN 小林新也
兵庫県 播州刃物 鋏職人

MUJUN 小林新也

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