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螺鈿師 武蔵川剛嗣
ラデンシ ムサシガワタケシ
MUSASHIGAWA TAKESHI
漆黒に虹彩を浮かべる職人一家
螺鈿(らでん)とは、貝殻の内側、虹色に光る真珠層を材料に使った漆の加飾技法である。
富山県の伝統的工芸品である「高岡漆器」に用いられ、貝そのもので全体の図案を構成していくのが特長
「螺」は巻貝、「鈿」は装飾を意味する。
漆の闇夜を幻想的に照らす月のように、上品な光が螺鈿の魅力です。
高岡漆器と螺鈿、その歴史
江戸時代初期、加賀藩二代藩主前田利長が高岡城を築城した際に、全国から名工を招き高岡漆器の礎となった。
螺鈿の歴史はさらに古く、1300年前の奈良時代に中国から伝来し琵琶など楽器の装飾として珍重されていた。平安から鎌倉にかけては、鞍(とも:弓矢を引く際に腕を守る用具)の装飾に使われます。
城下町から商業都市になっていた高岡では、御車山祭りと共に、漆器装飾が次々に生まれます。
勇助塗(ゆうすけぬり)、錆絵(さびえ)、青貝塗(あおがいぬり)。
この青貝塗こそが螺鈿細工のことであり、江戸時代後期に高岡に定着をしたと言われています。
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螺鈿のパイオニア、武蔵川家。
明治43年創業、螺鈿師として四代続く、武蔵川工房。
当主、武蔵川剛嗣(たけし)氏は、いわば職人の英才教育(せんれい)を受けてきた。
「職住一体、仕事している家族の背中しか見ていません。子供の頃はバブル期でたくさんの職人さんが仕事している工房で遊んでいました。両親も祖父母も職人だったため、自分が赤ちゃんの時は目が届くように職場の段ボールに入れられていて、陽の光を浴びないことで発症する病気になったこともある」と笑いながら語ってくれた。
その後、輪島漆芸技術研修所に入所。漆器の様々な技法を学んだことで、より高岡の螺鈿の凄さがわかったという。
材料
螺鈿には「夜光貝」,「白蝶貝」,「鮑貝」が使われるが、主に高岡では「鮑貝」を使う。
ちなみに、飲食店などから貝殻を回収するリサイクル的な仕入れと聞いてまず驚きである。
良い材料になるのは内側の表面が滑らかな一部分。それを裁断し、ひたすらに研磨する。
それは向こうが透けるほど薄い、0.1ミリ。
削る前は硬いが、この薄さになると多少のしなりが出ます。
削った粉は、胡粉(ごふん)と呼ばれ、日本画の画材や、日本人形の白塗りの材料、また螺鈿細工では貝を貼る前の下地に使用される。
なおこの研磨は分業になっており、擦り貝加工と呼ばれるこの専門分野も大阪・高石の業者1社のみという。
極限まで薄くした螺鈿パーツを漆に貼ると、黒が透けて青く光ることが「青貝塗り」と呼ばれる所以だ。
剛嗣氏:薄くすればするほど発色がよく、輝きが増すんです。
谷マチ:なぜそのように光るのですか?
剛嗣氏:構造色といって、貝自身には色は無い。光が当たることで赤く光ったり青く光ったりします。シャボン玉やCDもこの原理です。
加工技術と工程
置目(おきめ)〜貝に図案を移す
4層塗り重ねた下地や中塗り工程を経て、図案を薄い貝に透かし、ペンシルで下書きをする。光の角度で変化する輝きを一つ一つ計算しながらパーツを写していく。
針抜き
貝に写した図案を針で押しながら切り、パーツの形に抜いていく。針と呼ばれるその道具も自分たちで加工して作っているという。
伏彩色(ふせさいしょく)〜パーツに色を着ける
材料が薄いので裏から顔料で色を付けると、その色が透けて見える。貝の輝きと色彩が合わさることで、より多彩な表現が生まれる。
青貝付け
いよいよ漆の上にパーツを貼っていきます。接着剤の役目は膠(にかわ)。〜膠とは、動物の皮膚や骨から抽出される、天然の接着剤
毛彫り(けぼり)
貝の表面に線を彫ります。深さは貫通ギリギリ。貝は0.1ミリなので、やりすぎると割れてしまうし、浅いとその後の上塗りで漆が彫った溝に入りません。
上塗り
貝の上から漆を塗り、一旦全部を真っ黒にする。これにより毛彫りで貝に掘り込んだ溝に漆が入り込みます。貝向き(かいむき)
刃物で貝の上の漆だけを削り、剥がし取る。この上塗りと貝向きを2回繰り返す。
そうすることで、毛彫部分にしっかりと表面まで漆が入り、美しい仕上がりになる。
研ぎ、胴擦り、ロイロ仕上げ
最後に、埃や節をなくすために塗師に出し、丁寧に磨きを入れて、艶を出したら完成。現状と課題
螺鈿は高岡のみの産業です。蒔絵の材料としてチップなどで使うところはあるが、螺鈿に特化しているのは高岡のみなんです。ただし、その事業所数はピークから急速に減少し現在3軒のみで、職人の数は約8名という。
なお、その事業所も武蔵川工房から独立したところばかり。つまり螺鈿の産業は、武蔵川家の舵取りにかかっています。
展望、螺鈿の可能性
「本来は漆器の分業工程としての位置付け。それに漆器ですから素材は木製。しかしそれもこれも、重きを置きすぎると衰退してしまう。」と、螺鈿に特化してきた技術を活かして異素材との調和や、製品展開への意欲を語ります。剛嗣氏:「アニメコラボやスケボー、ギター、腕時計の文字盤などたくさんの製品に螺鈿を貼ってきました。街を見ていても何かに(螺鈿を)貼れないかなと考えながら歩いています笑」
加えて螺鈿の魅力を伺った。
剛嗣氏:「螺鈿は小さいもので3ミリのジュエリー装飾、大きいもので畳7枚分の六本木のクラブ内装までやりました。組み合わせて装飾する螺鈿に限界はない、これが螺鈿の可能性であり、ものづくりの魅力ではないでしょうか。」
谷マチからメッセージ
「武蔵川さんは本名ですか?」という我々の問いにそのルーツを教えてくれた。
江戸時代後期の高岡出身の力士「武蔵川大治郎」が先祖。武蔵川部屋より古く、剛嗣氏の祖父の代まで、化粧まわしや軍配などの残っていたそうだが、引っ越した時に忘れてきたと、貴重な遺産をなんとも勿体無いお話でした。
我々谷マチの語源や事業背景も同じお相撲、シンパシーを感じます。
現在小学生の五代目もすでに螺鈿を触り始めました。この頼もしい螺鈿一家を今後も紡いでいただきたいと思います。