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四代目 光助
ヨンダイメ ミツスケ
MITSUSUKE
熊本県
象嵌師
肥後象嵌
武士の嗜み、その美意識を令和に
争いの鎮まった時代には、得てして文化が育つ。
かつて武士の嗜みとして、刀の鍔(つば)などにあしらうデザインとして始まった芸術がある。それは時の大人な男たちのファッションであり、それが長い時を経て現代の熊本人のおしゃれ度やカルチャーに繋がっているのかもしれない。
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肥後象嵌(ひごぞうがん)とは
約400年前、江戸時代に細川の殿様によって奨励され生み出された熊本の伝統工芸。
「象」は「かたどる」、「嵌」は「はめる」の意。
その名の通り鉄の板の表面に細い切れ目をつけてかたどり、その溝に金や銀をはめ込んで、様々な装飾をほどこす。
前述の通りかつて武家の嗜みとして刀の鍔(つば)や鉄砲の銃身(じゅうしん)、キセルなどにあしらう意匠、個性として始まり、現在ではブローチ、帯留、カフスはもちろん、ドアノブやスイッチカバーといった内装部材なども製作が可能。
特長は?〜製造工程〜
1布目切り ベースとなる鉄板に細かい刻みを入れます。
2象嵌 純金、純銀の模様を一つ一つ打ち込みます。
3錆だし 錆液を鉄板に塗り、炉で熱し、赤く錆びさせます。
4お茶炊き お茶(タンニン)で煮出すことで錆が反応し漆黒のベースができます。
5磨きだし その後、純金、純銀の部分のみを丁寧に磨き上げます。
6すじ打ち 仕上げの模様を一つ一つ刻み込みます。
その作風は、武家文化根付く熊本を映した品格と奥ゆかしい美、「雅美」をあらわします。そして、製造面では地となる鉄には塗料のようなものを一切使わず、故意に錆びさせることで得られる錆色(さびいろ)を活かした漆黒色に仕上げます。
重厚感を感じさせる漆黒と、金や銀で表現される模様が、互いを引き立たせ「雅美」を完成させます。
産業の推移
バブルをピークに減退しており、今や象嵌が生まれた時代から続いている店はなく、明治七年創業の光助氏のところを入れて8人の振興会が技術を守っている。
過去には年間4万人がバスツアーで訪れ、ホテルや百貨店で催事をすれば飛ぶように売れたという。
和室関連や、仏具に需要が多かった象嵌は、徐々にマンション化、核家族化など生活様式の変化に伴い需要が低下。アクセサリーや小物などに主力が切り替わるも低価格化となり市場も減少。
肥後象嵌光助では4人の職人がおり、全て60歳を超えている。
現在後継者の目処はたっていない。
海外からは堅い評価
一方で、欧州からの象嵌の支持は変わらず、肥後象嵌を軸に来日する旅行者も多い。
様々なニーズに対する商品力は備えているものの、高齢化により生産スピードはどうしても落ちている。それでも熊本の象嵌技術の高さは顕著であることから、タイの象嵌を復元するために熊本へ視察団が来たり、タイ王国から光助氏に対し賓客として招聘の打診もあるという。
資金の使い道
あくまで当地にて技術を残していくために作り手の新陳代謝の環境整備が急務。しかし現在の助成金の仕組みでは育成が全て終わった後にしか支払われないし、育成途中や育成終了後すぐに辞められた場合などは無効になるという弱点がある。谷マチの資金によって技術継承の仕組み作りと、意外な商品やコラボの開発、それによる認知向上に使っていきたい。谷マチからメッセージ
象嵌製品が伝統ではなく、象嵌という技術が伝統です。
生活や時代の移ろいによってニーズが変わるのは必然ですが、日本もアメリカも中国もインテリアに違いはありません。日本という個性を取り戻したい時、肥後象嵌はなくてはならない日本の美であると考えます。